我が家の超・スーパー・ウルトラ・鉄人おばぁちゃん、その名を「カメ」という。
94歳で天寿を全うした、おもしろエピソードの多いファンキーなおばあちゃんだった。
◆ソウル編
アシアナ航空が那覇=ソウル線を就航した時の事。
遺族会で国内外をあちこち旅をしていたのだが、韓国は未だから行こうって事になり。
切れていたパスポートを改めて作る時、80歳を過ぎているのに迷わず5年物を申請し、これからもガンガンに旅行に行く気だったのです。
ソウルの市場では、言葉が通じないのにもかかわらず方言で地元のおばちゃんと商談し、勝手に買い物していた。
梨泰院で私の皮のトレンチコートを買う時も「ちゃっさ?(いくら?)」の問いに初め7万円と言われたのに、「わんねぇ~(私は)1万円までしか数えきれないから、はいこれでOKね」ってホントに1万円だけ店員に渡した。
苦笑いの店員も「おばぁちゃんには敵わないわ」と商談成立。
更に「はい、じゃぁ~この帽子もオマケしてね~」って父へのお土産もGET。
凄すぎる。
恐るべし明治女。
韓国民族村へ向かう途中のランチで石焼きビビンバpが出た時、ガイドのお姉さんが「おばぁちゃん、ビビンバpはこうやって食べるんですよ~」と、いきなりかき混ぜたら「あきさみよ~ちゅぬ(人の)ご飯、勝手にぐじゃぐじゃ~にしてから、この姉さん、で~じなちゅさ~。(大変な人さ~)」って怒ってるし。(笑)
人が握るおむすびや卵が食べられないから、ぐじゃぐちゃになったビビンバpを食べられる訳がない。
やさしいガイドのお姉さんの計らいで、白いご飯とトッピングのナムルを別皿で出してくれて一件落着であった。
ソウル市内の大通りは横断歩道も無く(地下道で行き来)、車がビュンビュン走っているのに渡ろうとしたり、マイペースというか怖い物知らずというか。
観光やショッピング、食事も楽しんだけど、おばあちゃんの行動が一番面白かった。
◆トゥシビー編
「八十五の祝い(ハチジューグーヌ・ユーエー)」
(生年祝い:自分の生まれた干支の年を御祝いする習わし)
85歳の祝いを記念に残る事をしたいと思い、当時「琉球新報」の情報誌「週刊レキオ」の名物コーナー「おばぁが笑ってV」に応募した。
週刊レキオの人気コーナーでこれまでに500人以上の沖縄中のおばぁちゃん達が紹介されている。
おばぁちゃんの言葉をそそまま掲載しているから面白い。
子供の頃のエピソードやおじぃちゃんとの馴れ初め、そして戦争の話。
物の無い時代の苦労話や戦争体験を悲しくも面白く、可笑しく、そして明るく話すおばぁちゃん達。
流石・・・沖縄のおばぁちゃん達は逞しい。
後日編集者から電話があり、取材したいとの連絡。
おばぁちゃんには黙って応募したから、本人の意志を改めて確認すると・・・。
「い~い、ならん」ダメだと言っている。
レキオを見せて「あのね、おばぁちゃん。こんな感じで新聞の表紙を笑顔でVサインして載るんだよ。昔の話して、トゥシビーの記念にしようよ」と説明。
「い~い、じょ~い」決してダメだと言っている。
「なんでよ~。理由は?」と私。
「新聞は翌日には古聞になって捨てられて、さしみや~(鮮魚店)で魚包むから、私の顔が魚臭くなる。」
田舎のお嬢様育ちのおばぁちゃんの言いそうな台詞である。
プライド高すぎ~。
編集者に断る理由をそのまま伝えると「面白いおばぁちゃんですね。是非取材させて下さい。」との回答。
「がんく~(頑固な)おばぁちゃんがNOと言ったら絶対にNOなんです。応募しておいてお断りするなんて、すみません・・・」
残念だった。 非常に残念だった。
プロのカメラマンに笑顔の写真を撮ってもらいたかったのに・・・。
おばぁちゃんの数々の武勇伝を県民の皆さんに伝えたかったのに・・・。
早いもので今年、我が家のカメさんの7回忌。
おばぁちゃん11月にお土産持って帰るからねぇ~。